サンテフィジオ祭 Sant’Efisio 2020

サンテフィジオ イタリア・サルデーニャ島

サルデーニャの最も華やかなお祭り、サンテフィジオ祭。
通常は、5月1日から5月4日まで4日間に渡り徒歩で行列が行われる。サルデーニャ州の州都カリアリを出発し、殉教地のノーラまで行き、再び5月4日の夜にカリアリへ戻ってくる。
その中でも5月1日は、ミサの後、カリアリの街の中を練り歩く行列があり、多くの人で賑わう。
しかし、5月3日まで、新型コロナウイルスのためのロックダウンが続いているため、今年の5月1日は、全く様相の違うサンテフィジオ祭となった。
限られた人のみの参加のミサ、誰もいないがらんとしたカリアリの街。
聖エフィジオも、背中に黒いリボンをつけ、カラーと袖口も黒い喪服姿となった。

サンテフィジオ祭
背中に長い黒いリボンをつけている聖エフィジオ

聖エフィジオは、紀元250年、小アジア、アンタキア(トルコ南部の都市)近くの Elia Capitolina で生まれ、キリスト教徒であった父を早くに亡くしたエフィジオは、キリスト教徒ではない母のアレッサンドラの影響のもと育てられた。
貴族階級の母アレッサンドラはエフィジオをディオクレティアヌス帝の庇護のもとへ送り込み、エフィジオは近衛兵となる。
その後将校となったエフィジオは、キリスト教撲滅のためにイタリアへ送られた。
そこで、エフィジオの人生が変わる出来事が起こる。
突然閃光が走り、続いて声が聞こえた。
「私はキリスト。私についてきなさい。」
そして、エフィジオの右の手のひらには十字架が刻印された。

聖エフィジオ
右の手のひらの十字架。今年は黒い色の袖口とカラー。

この驚くべき出来事の後、エフィジオはガエタで洗礼を受け、キリスト教へ改宗する。
サルデーニャへ来たエフィジオは、まずタロス、そしてノーラの軍司令部の任務につく。
ディオクレティアヌス帝によって公布された反キリスト教の法令にも関わらず、エフィジオは福音書を広めることを始めた。
さらには、皇帝にキリスト教に改宗するように勧める手紙まで書いた。
このため、カリアリへ召集されたが、キリスト教の信仰を捨てることを拒んだため、地下に掘られた洞窟の牢獄へ投獄された。
現在もその地下の牢獄は残っており見学することができる。
そして、カリアリのスタンパーチェ地区にあるその牢獄の上に、聖エフィジオに捧げられたサンテフィジオ教会 Chiesa Sant’Efisio が建っている。
牢獄で拷問を受けてもエフィジオはキリスト教への信仰を変えなかった。
カリアリの総督フラヴィアーノは、エフィジオを生きたまま火刑にしようと試みたが、火は死刑執行人へ燃え移った。
怖くなった総督は、エフィジオをカリアリから離れたノーラの浜辺で打ち首にした。
刑が執行される前に、フィジオは、カリアリ市民を守ってくれるように神に祈りを捧げた。
「カリアリを敵の襲撃から守ってください。悪霊の欺瞞を追い返し、市民に異教を捨てさせてください。
私が埋葬される場所で祈る病人に、健康を取り戻させてください。
危険や侵略、飢え、疫病かに見舞われた人が私に救いを求めて祈願したら助けてあげてください。」

1652年から1656年にかけて、サルデーニャで猛威をふるったペスト。
この時代、ペストの治療法はなく、多くの人々が亡くなり、市民を恐怖に陥れた。2020年現在の新型コロナウイルスで苦しんでいる状況と重なる。
薬も治療法もない時、カリアリの人々は、聖エフィジオが殉教する前に、カリアリの人々に祈ったことを思い出した。
最初の誓願は、1652年7月11日。
そのドキュメントは現在もカリアリの古文書館に保存されている。
1656年10月にペストは終息。
翌、1657年5月から350年以上続いている宗教行列がサンテフィジオのお祭り。
第二次世界大戦中など、困難を極める年でもこの宗教行列は続き、今年は、364回目となる。

2020年のサンテフィジオ祭は、徒歩での行列はなく、5月3日にイタリア赤十字の車に聖エフィジオ像を乗せ、殉教地のノーラまで行きその日のうちにカリアリへ戻ってくる予定となっている。

タイトルとURLをコピーしました