ヌオロのソリトゥーディネ教会から、オルトベーネ山の頂上にあるレデントーレまで、往復およそ10km歩いた。
出発地点は、ヌオロのソリトゥーディネ教会。イタリア人女性初のノーベル賞作家、グラッツィア・デレッダ(1871-1936)が眠る。というよりも、グラッツィア・デレッダを埋葬するために、1600年代の教会を1950年代に再建されたのだ。
ローマで亡くなったグラッツィア・デレッダは、ローマで埋葬されたが、第二次世界大戦後、ヌオーロ出身の偉大な作家の功績を守りたいという意識が生まれ、グラッツィア・デレッダお気に入りの教会を建て直すこととなったのだ。
エウジェニオ・タヴォラーラ作の扉は可愛らしい。
中心の聖母像の周囲には、天使と聖人の他に、鳩や動物、サルデーニャの古典的なデザインや星、お城などがが彫刻されている。
ハイキングコースは特別難しくはないが、高低差はおよそ400メートル。巡礼の小道でもあるため、途中に十字架がある。
途中に、ヌオーロの石 、または月の石とも呼ばれる石というか岩がある。オルトベーネ山は花崗岩のため、果てしなく長い年月をかけた自然の作用により、タフォーネと呼ばれる奇妙な形状の岩ができあがる。
そして、オルトベーネ山の頂上、925メートルのところにあるキリスト像、レデントーレへ。
モンテ・オルトベーネの頂上、キリストの像は、19世紀の終わりに、教皇レオーネ13世が1900年のジュビレオ(聖年) Giubileo を祝うために、イタリアの20カ所の山の頂上に記念碑をつくることを決めた。このキリスト像、レデントーレはそのうちのひとつ。サルデーニャ中の人々からこのキリスト像は親しまれ、また、オルトベーネ山も教皇レオーネ13世により祝福を受けた山となった。ヌオーロ出身のノーベル賞を受賞した作家、グラッツィア・デレッダは、オルトベーネ山は私たちの心であり魂であると書いた。
彫刻家は、カラブリア出身のヴィンチェンツォ・イエラチェ Vincenzo Jerace。ナポリで製作され、船でカリアリまで送られたのち、ヌオロまでは、汽車で、そしてオルトベーネ山の頂上までは農民たちが提供した牛車で運ばれ、1901年8月29日にオルトベーネ山の頂上に設置された。以降、毎年8月の最終日曜日には、レデントーレの祭りが行われる。
このキリスト像は重さが2トン、高さは4メートルもあり、牛車で山の頂上まで運び、設置するのは大変なことだったと想像される。
キリスト像の右足の先が、たくさんの人が触れたため色が変色している。カトリックは、尊いものに触れる文化なのだ。
キリストの手のひらはヌオーロの町を祝福するように、ヌオロの町に向けられている。また、この彫刻をつくっている最中に亡くなった妻、ルイーザに向けて、”あなたのヴィンチェンツォが彫刻をしている間に亡くなったルイーザへ”と刻まれているそうだが、高い場所にあるため判読はできなかった。
キリストの足元の赤ちゃんの顔は、ヴィンチェンツォの幼くして亡くなった娘という説と天使であるという説がある。